2013年8月31日土曜日

「聖痕」 筒井康隆

事件により、5歳で性器を切り取られてしまった貴夫が、幼少期からの美貌を持ったまま成長し中年期になるまでのストーリーです。1970年代から東日本大震災までの日本の状況と重ね合わせて主人公の半生が描写されています。現実の世界では、成人になって去勢するケースもあるでしょうが、この話の設定では第二次性徴を迎える前に去勢されたことになっています。
性的な欲求を知るあるいは感じることがないので貴夫は味覚が鋭くなったようなことも書かれており、そういうこともあり得るかもと感じました。目の見えない人が、視覚以外の感覚が鋭くなることと似ていると思えます。

「幼少期に性器を失ってしまったが、それをひた隠して過ごす」ことが、主人公が大学生になるまでは中心となっており、「秘密がバレるのか」とか、「異性関係や友情関係はどうなるのか」が気になりました。そこ以降は主人公の持つ「料理と味覚への関心」と彼を取り巻く状況が中心となっています。料理に造詣が深ければ、より深くストーリーにはまりこめたかもしれません(例えば、木下謙次郎の「美味求真」の話しがよく出ます)。

幼年期に性器を失ってしまった主人公の「性的欲求のない」心理的な特殊性と、周囲の人間(秘密をひた隠しにする家族、事実を知らずに心を寄せる異性や同性)との関係性が描かれているとまとめることができるでしょうか。他の筒井作品のテイストにも通ずるものがあります。

性器を切り取って持ち去った犯人はどうなったのか、そして持ち去られた性器はどうなったのか、については、最後のオチにつながっています。



この小説の特徴は、あまり見慣れない日本語や枕詞が頻繁に使われており、見開き左側に注釈で示されている点でしょう。例えば「三伏」(さんぷく:夏の暑い期間)という単語が使われていますが、この言葉を初めて見、そして意味を知りました。特に枕詞を多く使っているのは著者の実験的試みでしょう(間違っていたらスミマセン)。

いろんなことを知っていることが「教養」であるとするならば、「本の理解度は本を読む人の教養のレベルで異なってくる」と言えるかもしれません。「聖痕」の意味すら知らなかったので、キリスト教をどこまで知ってれば十分かわかりませんが、まだ自分は教養不足なのでしょう。まあ、小説を読むのに教養だ云々いうことが不粋かもしれませんけれど・・・







2013年8月25日日曜日

”Quiet” -Susan Cain- (その3)

キンドルペーパーバックである標記本の、その2の続きです。

人種文化の違いが、外向性、内向性の違いを生み出している典型的な例として、中国人(アジア系)とアメリカ人(欧米系)の比較で考察しています。予想通り、アジア系では自分の意見を主張せず、しゃべりまくったりしないことが「美徳」とされている一方で、欧米系では、全く逆で外向的な態度が評価されることを取り上げています(かなりのステレオタイプな見方に基づいている気もしますが)。文化的な違いの理由として、一つには儒教の影響、もう一つにはグループアイデンティティによると考察しています。個人的には、世代間での違いも大きいと思います。外向的で物怖じしない若者が増えてきたことは、日本も随分と欧米化されてきたことが影響しているのでしょうか。

「外向性」であることがよいとされることが多いのですが、内向性であっても「外向性」を演じることでその恩恵をうけることが可能であると述べています。外向的に見えても実は、そのフリをしている人がそこそこいると言っています。従って、ビジネスの局面では、あえて外向的に振る舞うことでリーダーシップをとることも可能でしょう。

最後に教育や育児の際に、内向的な子供に対する接し方が述べられています。現在の「学校」のしくみが内向的な子供に対しては合っていないことが指摘されています。内向的な子供にとってはみんなの前で発表したり、自分の意見をグループで述べることが苦手でも、それを無理に強制しようとすることはよくないようです。それでも、ある年齢に達したら外向的に振る舞う術を「教育」することが、世渡りの技術として教育されてもよいかと個人的には感じます。


「外向的で活発であること」がよいとみられる一般的な見方に対して、「内向的で物静かであってもよい点が多くある」ことを、多くの研究結果から示している内容であるとまとめることができるでしょう。

2013年8月20日火曜日

タイでタイ語の必要性を考える

ブログの主旨から外れている気がするが、せっかくタイにいるので、今回もタイネタを。

タイの街を歩いていると、いろんな看板や標識が目にはいる。自分の母国語は日本語なので、日本語が最も目につく(かなり少ない)。次に認識されるのは英語で、その表記を思わず読んでしまう。タイ語表記は、読めそうであれば読もうとする(厳密には中途半端に読んで、自分の知っている単語の情報と組み合わせて理解すると言った方が正しい)。

不完全ではあるにせよ文字を読めるのは便利だが、一方で日常生活の中でおびただしいけ情報に曝されていることを再認識する。日本で町を歩けば広告(日本語か、英語)が目にはいり、それらを読まずにおくことはできない。(よほどボンヤリしていれば別だが)。視覚から文字の情報が脳へ流れこんでくる感じだ。

以前、タイ国境からミャンマーに、ほんの数時間だけ行ったことがある。その時は、あちこちであの丸っこいビルマ語を目にしたものの読めず、なぜか不安な気分になった。その時に、視覚から得られる脳への情報量は少なくなっていたのではないか、と考えると文字の読めないことにもメリットがあるのかもしれない。

ローカルな言語を読めると、そこでの生活は便利だろうが、都会(タイだとバンコクとか)に住めば英語だけでも問題ないだろう(日本でも東京や大阪といった都市であれば、日本語が出来なくても暮らせそうだ)。逆に地方で暮らそうとすれば、現地語の必要性は高くなるだろう。地方に行くほど英語表記が少なくなるのは、日本でもタイでも同じ気がする。

ただ、タイ語の欠点は、原則タイでしか使えないことだと思う。日本語もそうだがローカル性が高すぎる。だから、「汎用性」という点では、英語を除くとスペイン語やポルトガル語や中国語のほうがよいのだろう。一度はタイ語をある程度に極めようとしたが、当面は移住の可能性もないので、再び英語学習に集中するに到った。

「大抵の国では、都市部に住むなら英語で何とかいけるんじゃないか」と思う一方で、「現地語が出来ればやっぱり楽しいだろう」という結論かな。ただ、人生長くても100年ほどなので、語学にどれだけの時間をかけるかを考えておいた方がよいと思います。

タイの田舎で出会ったネコ.
タイ語で話しかけないとダメかも…

2013年8月18日日曜日

タイで感じること


何とか夏休みをとることができ、今、タイにいる。
タイに来て一番に感じるのは、物価の安さだ。スーパーで売っていたスイカ(ラグビーボール形)はキロあたり19バーツだった。1万円をこちらで両替したら3009バーツだったので、キロ63円に相当する。小玉スイカ3kgとして約190円、日本で買うと1000円はするのでざっと5分の1である。(スイカの種類にもよるが。) もちろん果物や野菜は極端な例かもしれないが、総じて食費は安く済む。しかも屋台や市場で調理済みのものを買っても同じく安い(安く上げるために自炊する必要もない。)
田舎の、とある市場にて
だから「人生の谷」(注)にいた時に、いっそのことタイに移住しようかと真剣に考えたことがある。理由は日本より安く暮らせるのではないかと考えたからだ。しかし、結局その計画を実行するには至らなかった。
一つには、健康に自信がなかったためである。日本では健康保健でそれなりのお金を徴収されているが、同じサービスを海外で受けるとなると高くつく場合が多いだろう。
もう一つは、自分の運の良さに自信がなかったからである。こちらタイのニュースを見ていると、事故や事件が多い気がする。これらに巻き込まれなければよいのだが、その保証はない。(日本でも、物騒なご近所殺人事件が起きたので、日本が平和であるとも言えないが。)麻薬中毒者の絡んだ事件は、日本より明らかに多い。

タイ移住を考えていた頃、タイに関する本をいろいろ読んだ。タイ本は数多くあるが、下川裕治氏の本を挙げたい。彼の本はどれも面白かったが、最近のもので「移住」ものだとこれだと思う。

「行き場」ではなく「生き場」とにしているところが、日本で暮らす閉塞感から脱したい人々の感じを表している。

(注)山あり谷ありで、よい時と悪い時のどちらが山でどちらが谷かという議論(?)がありますが、「あの時がピークだった」と言ったり「どん底だった」と言ったりすることから、よい時が「山」で、悪い時が「谷」だと解釈しています。




2013年8月11日日曜日

”Quiet” -Susan Cain- (その2)

標記の本を未だに読みきれておらず(現在、42%くらいです)、今回も途中までの面白そうな点をアップします。“Quiet: The Power of Introverts in a World That Can't Stop Talking”by Susan Cain(その2)です。(その1はこちら

「ブレインストーミング」に関して、みんなでアイデアを出すのはよい方法であると考えられていますが、「才能のある」ヒトの能力を十二分に発揮させたいのであれば、必ずしもベストな方法ではない事例が紹介されています。大きな発明をできるようなヒトにとっては「グループワーク」ではなく、むしろ一人でこもって集中したほうが能力を出しやすく、そういったヒトは内向的なヒトが多いと分析しています。

幼児期からの観察によって内向人間と外向人間を区別する研究の結果は面白いです。幼児に刺激を与えて「たやすく反応するのが外向人間で、なかなか反応しないのが内向人間である」、と考えがちですが、実は逆だというのです。内向か外向かの違いは、外部に対する刺激をどの程度求めるかによるらしいのです。
人間は基本的には何らかの刺激を求めており、「十分な」刺激のレベル(閾値)はヒトによって違い、そのレベルは外向人間では高く、内向人間では低いようなのです。従って、幼児期の段階で容易に泣いたり笑ったり外部の刺激に反応しやすいのは、将来の内向人間であるということです。
なので、大人になって人前で話すのが苦手である現象は、その状況がそのヒトにとっての刺激のレベルをオーバーしているからであり、緊張しないヒトにとっては、まだ刺激レベルにまで達していないと考えられているようです。(ただし、結果に対する原因はただ一つが対応しているわけではないので、現実の世界では一対一の対応で説明できるほど単純ではないとも言っています。)
外向人間のほうがパーティー好きであったりするのも、刺激を求めるためだと考えると納得のいく説明です。


(たぶん)その3へ続く。


なぜか、キンドル版で2種類あり(いまさら気づきました)、今回リンクを貼り付けたもののほうが40円くらい安いようです。

2013年8月3日土曜日

”Quiet: The Power of Introverts in a World That Can't Stop Talking” -Susan Cain- (その1)


私の参加している英語のグループレッスンで、たびたび性格の話題が取り上げられてきました。そのときの英語の先生に勧められて、この本を読んで見ようと思いました。

内向的な性格(introvert)と、外交的な性格(extrovert)のどちらが得か? 一般的には内向きの性格は損することが多いのでしょうが、内向きな性格のよい点に焦点を当てている内容でしょう(まだ途中までしか読んでいないので断言できません)。

今のところ全体の約20%しか読めていません(パート1の2章まで)。本を読み終えるまでにあと18時間かかるというのがキンドルの分析です(キンドルの画面の下をタップすると表示されます)。

全体の構成からして、たぶん、まだ「さわり」の部分でしょうが、このままではいつ読みきるか怪しいので、とりあえず「その1」としてアップします。


なぜ社交性が必要となってきたのかについて、歴史的な流れから解析をしています。もともと外交性はそれほど重要ではなかったのに、工業化が進み、セールスマンが登場するころになってから外交的な態度が注目されるようになったことなどがまとめられています。

ハーバードビジネススクールでも、外交的な態度を要求され、内向きな性格の学生は居心地悪く感じている例も出ています。

あとは「よくしゃべる」ことのメリットについて具体例が書かれています。
早くしゃべる、よくしゃべるのがリーダーとして見られるようです(位置No.1079*)[正しくは、位置No.1020の誤りでした(130810追記)]
The more a person talks, the more other group members direct their attention to him, which means that he becomes increasingly powerful as a meeting goes on.
It also helps to speak fast; we rate quick talkers as more capable and appealing than slow talkers.
*キンドルではページではなく位置Noで場所を示す仕組みです。たぶん、ページだと表示型式の選択方法によってずれるからでしょう。

一方で、外交的な性格が必ずしもリーダーとして機能するわけではなく、proactiveな傾向のメンバーがグループに含まれる場合には、むしろ内向的な性格のリーダーのほうがチーム全体のパフォーマンスを向上できる実験が紹介されており(No.1110付近)、興味深いです。



キンドル版は、実際の本よりは安いのが最もよい点です(下のリンクはキンドル版です)。さらに、読んでいる最中にわからない単語を調べられるのがいいですね。