2013年11月24日日曜日

"Nadia's Hope" Lisa Buffaloe

この本は「神を信じることができて救われた」という締めくくりで、信仰心の薄い私としてはちょっと…とも感じました。主人公のNadiaは不幸な事件に巻き込まれて、肉体的にも精神的にも傷つき、特に精神的なトラウマからどのように回復(というか克服)したかが、現在から過去を振り返り、未来へ向かう構成となっています。まあ、ラブストーリーとしても楽しめます。そうとうなボリュームなので、少しずつ読むと、始めのほうの登場人物の人間関係を忘れてしまいそうになりました。
(kindle版は価格が変わるので、¥0の時に入手するのがいいかも。ちなみに、プライム会員ならば投稿日時点で¥0のようです)



‐‐‐単語、表現メモ‐‐‐
([ ]内のNoはキンドルでのページ)
■winkle one's nose
Nadia wrinkled her nose as she took a tumbler out of the cabinet and grabbed the spice. [No503]
ここでは3の意味かと思われます。「顔をしかめる」のほうが日本語の感覚としては近いでしょうか。
1.くんくんと匂いをかいだり、悪臭をかいだときのしぐさ
2.不快・嫌悪の表情
3.陽気にうんざりの気持ちを示すしぐさ

■turn stomach
The idea of forgiveness made her stomach turn. [No1199]
吐き気がする・ムカつくといった「嫌悪感」を示しています(たぶん)。おぞましいものに敏感に反応する場として、stomachがあるのに対して、日本語では「胸」である点はおもしろいです。

■two peas in a pod
They are two peas in a pod.   [No2755]
「似たもの同士で」。さやえんどうの中の豆2つなので、想像しやすい表現です。
「瓜二つ」だと、見た目だけを表すので、ちょっと違うと思います。

■He grinned like a kid caught with his hand in a cookie jar.  [No3020]
見つかってばつが悪そうににんまりする という感じが想像できます。
No6151にも同様の表現があります。(David's smile looked like a little boy caught with his hand in a cookie jar.)
英語で一般的な表現なのかよくわかりません。(そんな気がしますが)。

■"The pot calls the kettle black"
「目くそ鼻くそを笑う」Pot calling kettle black. [No5227]

■on cloud nine
Satan would be on smoke cloud nine if he could mess up your marriage. [No6394]
「幸福の絶頂」。単に私が知らなかっただけ?なら小恥ずかしいです。

「多読」は地道ですが、知らなかった英語表現に出会うにはよい方法ですね。

2013年11月23日土曜日

「オーパ!」開高健

作家開高健のアマゾン釣り紀行です。
初めの版が出たのはもう30年ほど前です。地域の図書館の検索システムでみたら、2010年にも新たに出版されていたようなので、この新しい版を借りて読みました。実は「直筆原稿版」とあるように、原稿用紙に書かれたそのものが書籍となっており、推敲の跡をみることもできます。「本」ではありますが、原稿用紙に書かれたものを読むのは、作家の息遣いが感じられます。

アマゾンから帰国の途中でブラジリアに立ち寄り、そこでブラジルの首都移転の歴史や経済状況などについて同行者と会話する場面は、著者の考えを垣間見ることができ興味深いです。ブラジルが莫大な借金をして、何もないところに数年間でブラジリアを作り上げたことについて、「男は借金がないと眠り込んでしまう」とか、「昔から男は自尊心で苦しむようになってるんだよ」という言葉は含蓄があります。

この直筆原稿版と、現行本では、著者の加筆修正による違いがあるらしいので、そこを比べて読むのも面白いかもしれません。

2013年11月10日日曜日

「プア充」 島田裕巳

本書のタイトル(プア充)は、「リア充」をもじったものでしょう。「プアでも充実」、高収入ではなくても、充実した生き方ができるためのhow toが述べられています。東洋思想の「少欲知足」(欲を持ちすぎず、現在の状態に満足する)を勧めています。本書の構成は、30歳の主人公がお金だけじゃなくても生きられることに気づく物語となっており、各章にはまとめがつけられています。物語に著者の言いたいことをのせた構成なので、堅苦しくもなく、読みやすかったです。

「人間関係やヒトとのつながりを大切に」といった、月並みなこと(=この手の本ではよく見られること)が挙げられている一方で、「競争とは無縁の安定しているダサい会社を探して就職」し「年収300万円しか稼がないがストレスとは無縁」ほうが幸せではないかと述べています。「プア充」の考え方では、仕事はお金を稼ぐための手段にしかすぎず、「仕事にやりがいを見出すことができなければ人生はつまらないというのは思い込みだ」と言い切っています。「思い込み」かもしれませんが、やはり仕事が楽しければそれは理想だと私は考えます。問題は、生きてくために働いているのに、逆に無理をしすぎて健康を害するとか、あるいは、過度のストレスで早死にするケースがあることだと思います。何事もやりすぎはよくないのではないかと…。

日本国民すべてが「プア充」的に生き、その結果、国の経済力や企業の競争力が低下したらどうしよう、と心配になります。しかし、ヒトがあって国や企業が成り立つので、この心配こそが本末転倒といえるかもしれません。

過去に見られたように、日本経済が劇的に発展する状況は今後期待できません。身の丈にあった生き方を選択するのも悪くはないでしょう。また、日本を飛び出して生活する可能性もアリかと思います。

2013年11月4日月曜日

「ラテンに学ぶ幸せな生き方」 八木啓代

「日本に住むヒトの生き方は幸せには見えないので、ラテン(アメリカ)に幸せな生き方のコツを見出そう」、というのが本書です。

これを読んで、やっぱりラテンがよいと思ったのは以下の点です。

■特に男性は小さいころから女性をエスコートする作法を仕込まれている

「文化」が変われば可能でしょうが、たぶん、日本では真似できないと思います。特に「ピローポ」(=見ず知らずの女性に向けて投げかけられる甘い言葉)は、小さい頃から馴染まないととても無理でしょう。

■絆のセーフティーネットがある

失業しても、居場所がなくても、とりあえずは親戚や友人の家に転がり込んでなんとかなるので、「ホームレス」にならなくてよいことが一例でしょう。ただ、現在日本のあまりにもホームレスに転落しやすい状況が異常なのかもしれません。おそらく、東南アジアあたりでも、失業してもなんとかなる事情はラテンと同じと思います。


一方で、そうかなあ?と疑問に思った点は以下のとおりです。

■「自分の家族を卑下しない、むしろ褒めまくる」のがラテンの特徴

これは別に「ラテン」に限定されていないと思いました。日本と英語圏の比較を書いた本では、やはり、家族に限らず他人を(お世辞ではなく)よく褒める傾向が日本より強いと述べられています(「ポジティブイングリッシュのすすめ」)。特に、自分の家族を卑下するのは「謙譲」の日本的美意識なのでしょう(世界に出て行っても通用しない・理解されがたいでしょう。)

■ラテンでひきこもりが起こらないのは、子供部屋はあくまで親の管理下にあるから

日本では、子供部屋は子供の占有物となっているために、引きこもりの一因となっているのだ、と言っていますが、それが大きな原因だとは思えません。ある程度、生活の水準が向上してきたからこそ「引きこもり」が可能になったのではないか、と私は考えています。一昔まえであれば、まともな子供部屋をもらえる子供は少なかったのではないでしょうか。
(ただし本書で使われている「ラテン」の定義は「ラテンアメリカ」、そして著者はメキシコにも住んでいることから、「メキシコ」の印象が強いと思われます。)



「アリとキリギリスの話」の別バージョン(ラテン版?)が紹介さていました。日本で馴染みのあるのとは違い興味深いので、以下、引用します。
冬になって食物がなくなると、キリギリスはアリを訪ねます。
「私が汗水流して働いていたときにあなたは何をしていたの?」
アリの意地悪な問いに、キリギリスは答えます。
「私は歌ってみんなを楽しませ、元気づけていたのよ」
それを聞いた、働くことしか知らず、生きる喜びを感じたことのなかったアリは反省し、
「では、これからは踊って暮らしましょう」と、キリギリスを迎え入れて、食物を分けて一緒に踊りながら、楽しく冬を越したのです。
通常の、「地道に将来に備えましょう」という教訓が得られないですね(笑)。で、こうしたキリギリス的に生きようとか、アリみたいに生きてどうするんだ、という見方を著者はしています。

私が思うに、「働きすぎ」が悪いのではなく、「意に反して働きすぎとなる」状況が悪いと思うのです。例えば、ブラックな企業での、時間外賃金未払いでの長時間労働を強いる例があります。しかし、自分で好きで働く(働きすぎる)ことのどこが悪いのか? 議論が進むと「働くこと」や「職業」の定義にまで踏み込まなければならないでしょう。「画家にとっては絵を描くことが労働なのか」とか、「アトリエにこもって延々と絵を描くことが「働きすぎ」といえるのか」、といった点です。

とりあえずは、食べ物に困らず、寝てても凍死する心配のない、暖かい場所に移り住めば、アリに頼らない、キリギリス的生き方を選択できそうですけどね。

ラテンアメリカの中でも、メキシコと音楽に興味のある方にはおすすめです。

「ハゲとビキニとサンバの国-ブラジル邪推紀行」井上 章一

リオデジャネイロで通算4ヶ月ほど滞在した経験から、ブラジルに対して考えたことが述べられています。著者は、現地大学の日本語学科から招聘されたため、自身が現地で感じた疑問に対して、ブラジルの大学生からの意見を聞くなどして考察をしています。「考察」というよりは、サブタイトルにあるように「邪推」といったほうがよいかもしれませんが、切り口はおもしろいです。

「ハゲが女性にもてることは本当か?」という疑問に関しては、「ブラジルでの有名な歌がありポピュラーだが、その歌詞の内容から判断すると、ハゲだからもてると考えるのは誤りのようだ」と結論しています。(その歌、Nós, os carecas (われらハゲ仲間)はyoutubeで探したところ、これかと思われます→http://www.youtube.com/watch?v=ULknVaXLFcQ

ビキニについては、ビーチで見かけるのは、必ずしもグラビアを飾るような女性ばかりではなく、おばちゃんや、脂肪に食い込んでるほど肥満な女性もみられると述べています。しかもビキニが「フィオレ・デンタル」(=デンタルフロスの意味から、いわゆる「紐ビキニ」のこと)であり、そして「見苦しい」体型であっても許容される背景(帝王切開が一般的なのにその傷は目立たないことや、社会的に低い階層は高級服には手が届かないが紐ビキニなら買えるなど)について考察しています。

女性の尻に対してなぜ、ブラジル人はこだわるのか、奴隷制の名残であるという説が紹介されています。そして、対照的に、日本人がなぜ、女性の襟元に興味を示すのかについても考察されています。日本で魅力的な女性を「ガン見」することは文化的に許容されない、しかし、男性の視線がうなじに向かうのであれば、女性から視線を返されることもなく、そこが視線を集める部位になるというのが著者による考察です。

以前の2つ(「ブラジルの流儀」「ブラジルを知るための56章」)とは、違った視点でブラジルを見た興味深い本です。