2014年9月28日日曜日

「怒らない選択法、怒る技術」 苫米地英人

本書のいう、怒るに値するための条件は以下の2つである。
1.相手に過失がありその過失によって自分に不利益が生じたとき
2.その過失が予想外だったとき
だから、買った株が下がったからとか、腹黒い上司が(予想通りに)手柄を横取りしようとしたとかいった場合には怒ることはないと述べている(いずれも予想できる事態だから)。
以前に紹介した「怒る技術」では、怒りの定量化(スコア化)や可視化、そしていかに怒りを静める(コントロールする)かが述べられていた。一方、苫米地先生は「怒るときは怒れ」と言っている。しかし、その怒りは単純な感情の爆発ではなく「目的を達成するため」の手段である。

怒るための作法についていくつかが紹介されている。
そのひとつは丁寧な言葉を使うこと。また、相手の発した激しい言葉に反応するのではなく、その裏にある思考を考えることが大切だと述べている。これについては、外交における相手の意図を読み取ることの重要性にも触れている。それは、中国や韓国の最近の動きが日本の怒りを買っている向きがあるが、それらの国の意図は国内の経済問題を外向きに転嫁することだというのだ。

怒りの場面における「それは常識だから」という常套句には疑ってかかれというのは、他の場面でもいえるだろう。例えば「みんなそうしています」という場合、「みんな」とは誰なのかとか、「通常はこのやり方です」の「通常」とはどんな状態かといったことだ。常識と関連して規定の「ルール」に対しても、それ自身が正しいものかをよく考える姿勢が必要であると述べている。オリンピックの種目で欧米がメダルを取れないとそのルール自体を変更したことが例示されている。

怒る上司に対しては疑問を呈している。
ビジネスの人間関係において、それは契約に基づく関係なので、そもそも「怒りに値する条件」を満たす状況は生じえないと。やることをやらないとか、十分なパーフォーマンスが得られなければそれは「契約」に基づき処遇をすればよいと述べている。ただ、そこに怒りの条件が整う背景としては、ビジネスにおける人間関係がプライベートに寄りすぎた場合に起こりうるのだと。日本では契約関係もあやふやであることが多く、確かに起こりがちなことだろう。
「怒られるうちが花」とも言われるように、怒られるうちはまだ相手の期待度が高いと前向きに捉えることはあながち間違いではないかもしれない。


怒りも、喜びや悲しみといった感情の一つで、例えば映画を見ていていろんな感情が表出したからといってもそれは「観客」としての間だけで映画館を出れば日常に戻る、だから、その感情を楽しめばよいというのはわかる。しかし、感情を引きずるから大変なんじゃないか? 自分の感情をモニターして客観的になることが感情に引きずられないためのコツなのではないかと思う。
ところで、「観客」と「客観」で文字の並びが逆なのは偶然?

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