2015年1月25日日曜日

「生と死をめぐる断想」岸本葉子

自分が幼いころ、死は遠いものと感じられていた。テレビのドラマの中の死や、ニュースで報じられる死は、自分には関係ないものと感じられていた。おそらく、死んだあとに、空からこの世を見守ることができるイメージが漠然とあったからだろう。

死んで火葬されれば肉体は灰となり、有機物は二酸化炭素となって大気に還元される。では、魂はどうなるのか?あの世があるとすれば「高いところ」にあるのか、あるいは地の果てにあるのか、それとも地底深くにあるのか、こうした疑問に宗教は答えてくれるのだろう。しかし、信仰のない者にとってはどうなのだろうか?

著者はガンを患い、その経験から生と死に関して、同様の経験者の著述などを紐解きこれらの点に対して考察している。ここでは、控えめに「断想」といっているが、死んだらどうなるかを考える上での一種の総説的な(ポータルサイト的な)内容となっている。だから、さらに深く知るためにはこの本から、引用元の各著作へと読み進めるべきだろう。


「時間」の概念について、自分の時間、自然の時間、地球の時間で考えたり、あるいは、輪廻転生について考察したりしている。時間の流れる方向が直線的ではなく、また、流れる速さも違うのを表すのに、ぐるりと輪を描いている概念図(表紙の絵だが)を示している。輪廻は別としても、よく表していると感じた。

2015年1月12日月曜日

「ブラジル人の処世術 ジェイチーニョの秘密」武田千香

日本で感じる常識が、海外ではそうでないこともある。その常識はモラルや社会的な規範とも呼べるだろう。ブラジルでも日本の常識に照らし合わせると「?」と感じることがあり、その疑問に対して彼らの世渡り術である「ジェイチーニョ」を理解するのは有効であろう。

「ジェイチーニョ」の定義としては(p16からの引用)
なにかやろうとして、それを阻むような問題や困難が起こったり、それを禁止する法律や制度にぶちあたったりした場合に、多少ルールや法律に抵触しようとも、なにか要領よく特別な方法を編みだして、不可能を可能にしてしまう変則的解決策
としている。それでは、「違法」なのかといえば、違法でも合法でもない「グレーゾーン」の行為であり、秩序を度外視した領域に位置すると述べている。「ズルイやり方」とも呼んでいるが、ある意味「裏技」とも呼べるだろう。
アンケートの結果として、「銀行に勤務する人が急いでいる知り合いに、列の順番が先になるよう便宜を図る」ことに56%が「ジェイチーニョ」に該当すると回答した例を紹介している。日本でも融通を効かせることで起こりうるが、「例外的な」扱いにとどまるため違うのではないかと述べている。

価値基準についてはブラジルでは絶対的ではなく相対的だといっている。つまり、価値基準が人間に基づいているために、人が違えば価値基準も異なる。だからこそ、平気で約束を破るとか、言っていることがころころ変わることはブラジルの価値基準では何らおかしなことではないという考察は腑に落ちるものだ。



ビジネスをするには大変かもしれないが、ある意味「適当さ」や「いい加減さ」を許容することができないと海外で生きていくのは難しいかもしれない。タイであれば「マイペンライ」をどこまで「マイペンライ」で許容できるかに似ている状況だろう。