2016年5月8日日曜日

「一生モノの超・自己啓発」鎌田 浩毅

世の中にあふれるビジネス書や自己啓発本は、実のところ役に立つのだろうか?この疑問に対してひとつの答えを提示しているのが本書であろう。
「ビジネス書」が「ドクサ化」しているという指摘は的を得ている。「ドクサ」とは、ギリシャ哲学の用語で、「人間を絶えず惹きつけるものだが、必ずしも幸福にしないもの」らしい。また、これらのドグサ化したビジネス書のなかで謳われていることのマイナスな点は、そのハウツーができない場合、それができない本人に責任がある風に書かれている点だといっている点は新しい。つまり、うまくいかないことを見せつけられることで、本人の「無力感」が増大される可能性があるというのだ(それが出版社の思惑かもしれないが。)

「成功本はムチャをいう」という本でも、「書いてある通りできれば苦労はないよ」といった感じだった。本書でも同様に、「自己啓発本に書いてあることをすべてやろうとすると24時間では足りないのではないか?」と指摘している。
それでどうすればよいのか?という問い対する答えは、端的にいって「いいとこどりしよう」だ。「こうすればよいです」と書いてあることは、本によっても違うし、また、一番重要なことは、誰かの言っている黄金律は、「普遍的にだれにも適用できるわけではない」という点だろう。これは、健康法にも通じる点だ。例えば、「朝は早起きが健康に良い」といわれても、「すべての人に対して」この習慣がベストとは限らないだろう。食事にしても「肉食はよくない」といわれる一方で、「肉は長寿によい」と言われたりする。おそらく、このどちらも嘘ではない。嘘ではないが万人に適応できないだろう。なぜなら、同じ人間でも、それぞれの体質は同じではないからである(個人的には早起きで肉少なめな習慣がほとんどの人によいことだと思うが。)

ストックからフロー型の生き方、つまり、ため込まない生き方を勧めている。これはまさにミニマリズムに通じる点だろう。ため込まないのは物理的なものだけではなく、人間関係について「友達は3人いれば十分」や「SNSを休んでみては」などソフト面でも言及している。(浅い人間関係をひきずるのはやめようと言っている人は「お金じゃ買えない」の藤原和博氏も同様だった気がする。)

面白いと思ったのは「頭で考える」ことのほかに、「体の反応(体からのメッセージ)」に注目している点だ。例えば5月病についても無気力を体からのサインとし、休んでいればそのうちエネルギーがたまって何らかの方向で元気になるから心配ないという意見である。体の感覚の重要性は「無学問のすすめ」でも触れられていた。


自己啓発オタクやビジネス書オタクが読んでみるべき本であろう。著者のオタク経験に裏付けされているので説得力のある内容だ。

2016年5月2日月曜日

「勤勉は美徳か?幸福に働き、生きるヒント」大内伸哉

世の中では、働いている人といえばいわゆる「勤め人」が多数派ではないかと思う。どこかに勤めて、給料をもらっている人たちである。そのなかでは、当然ながら契約のうえでの関係があるはずだが、この契約やその他の法的な環境を理解して勤めている人はどの程度いるのだろうか?日本国内でみると、正社員になると期限のない雇用となるのであまり意識されてないのではないか。
自分の入社当時はまだ不景気ではなかったため、その辺の事情(労働に関係する法律)に無頓着であり、ここまできた。まあ、それでも何とかなってきたのは今と比べてまだ「世知辛さ」の度合いが小さかったためであろう。

本書は労働法関係について、具体的な事例とともに示されており、その辺の事情に詳しくないひと(自分も含まれますけど)に役立つ内容だ。例えば年休については、休む際に上司の承諾が必要であると思われがちだが、これは違法であり、また、会社の許可なく年休を取得できるところが日本の法律の特徴だと述べている。また、会社の「時季変更権」(平たく言うと、年休取得のタイミングを雇用者側がずらすこともできる権利)についても、その要件として「事業の正常な運営を妨げる場合」が必要だが、実際に休みの届を出して休むなと言われてもめたらどうなるのか?その判例も示されている。

著者は法律の専門家であり、本書では「日本」と「ヨーロッパ」での雇用や労働法の比較が随所で行われている。本書で日本の労働関係の歴史を眺めると、法ができた背景には労働者を守る思想があったものの、結果的にはライフワークバランスを阻害するものもあったことがよくわかる。

働く概念を、「labor」、「work」で紹介していたのは、ある意味本質を突いているといえるだろう。laborは奴隷の働きから来ており、一方でworkとはそのことばが「作品」を意味するとおり何かを創造する働きであると。おそらくはブラック企業と呼ばれる職場では「labor」となっているのだろう。

労働法をよく知り与えられた権利を行使するのはよいが、そこは日本的なしがらみがあるので、現実的に実行は容易ではない。例えば年休をすべて使い切ることが可能な企業はどれくらいあるのだろうか?ここのところ、年休消化率ランキングなんてものが発表されているが、中小企業ではむりなのではないか?大企業はまだしも、だれかが休んだことによって仕事が減るわけでもなく、その分がだれかにしわ寄せがいくだろう。で、結局休めないなんてことになりがちだ。この点についても、「年休の取得時期を労働者側に渡したほうがよいだろう」という法律の趣旨が裏目にでた例だと述べている。この点について著者は、むしろ一斉に休む時期を決めたほうがよいのではとの主張である。


就職(就社?)したばかりの人にも、また、労働法をざっくりと知りたい人にも勧めたい本です。

2016年5月1日日曜日

「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」万城目 学

単に猫がでてくるようなので、これを読んでみた。猫同士が会話するとか、猫が人間の言葉をわかるとかはよくある話だ。しかし、ここでは、マドレーヌ夫人(と呼ばれる)猫が、猫にとっての外国語である犬の言葉を理解する点が、他の猫ストーリーとの違いといえる。
小学生になったばかりの「かのこちゃん」と、その飼い猫となった「マドレーヌ夫人」が話の中心である。そこに、かのこちゃんとその親友の話もからみつつ、マドレーヌ夫人とその夫である玄三郎(かのこちゃんの飼い犬)の物語でもある。

出会いと別れという点、あるいは、読んでいるときに子供のころの感覚を呼び覚まされる点では、以前に「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」を読んだ時と似ている(「砂糖菓子の…」は主人公が中学生で、やや年代が異なるが)。

ネタばれとなるが、玄三郎が病気で死んでしまうところは、飼い猫を病で失ってしまった自分としてはちょっと他人事をは思われなかった。「ペットが話すことができたら…」は、ペット持ちのだれしもが持つ願望ではないだろうか?
この小説にはまり込むことができるか否かは、読者の犬や猫に対する経験に基づくところが大きいだろう。