2016年12月3日土曜日

「〈貧乏〉のススメ」 斎藤孝

経験としての貧乏も悪くない、そんな内容だ。したがって「ずっと貧乏」を勧めているわけではない(それが通常の人間の感覚でしょうけど。)


貧乏の自覚に関しては、著者の貧乏経験を振り返り、次のように述べている。
貧乏を受け入れて暮らすのか、貧乏には戻らないように働き続けるのか。二つの岐路にたっているんだということを意識するだけで未来の展望はひらけてくる。(p.50)
貧乏経験を経ると、そこに戻りたくないという感覚が働き、それがモチベーションになるようなことを言っている。すなわち、
仕事をするうえでちょっとした貧乏性であることは、まっとうな危機感をもつうえでとても大切なことなのだ。(p.55)
と貧乏性を肯定している。


貧乏経験をバネにするという点で、
その若いころの「悔しい」体験が、あとあとの燃料になっている。わたしはそれを「石油化」と呼んでいる。(p.64)
と表現している。植物の残骸が長い年月を経て原油に変わることになぞらえているのは、なるほどと感じられる。


貧乏であればお金を使えないが、そのことをデメリットとは受け止めず、反対に、
学びは貧乏ととても相性がいい。(p.80)
といっているのは的を得ているだろう。お金がなくとも「学ぶ」ことは十分に可能であるからである。
しかも、今やネットを使えば 「学ぶことがタダ」となる傾向が加速している。
しかし、全くの無料で学ぶことには全面的に肯定しているわけではなく、お金を使う効用も述べている。すなわち、
学ぶということでは基本的にいいことなのだが、身銭を切るからこそ暗記するし、覚えることもできる。(p.195)
との意見だ。タダには越したことがないが、そこで身銭をつかうかどうかで「本気度」が変化するのは心理学の理屈で説明可能な人間の特性といえるだろう。


貧乏は「通過点」であるとしても、基本的には欲求には際限ないといっており、
ただし欲望は限りない。それを自分でコントロールする感性があるかどうか。それが重要だ。(p.209)
と、自制の大切さを説いている。 これに関しては、「感情をコントロールする」の項で次のように言っている。
社会性のある人間になるには、もう一つ、感情のコントロールが重要だ。「自分の気分」と「外へ出すもの」は別でなければいけない。(p.149)
大の大人であっても感情を「垂れ流し」にしてしまう人がいるのは事実であり、それは大人とは言えないだろう。

以前に紹介した貧乏のすすめと同じタイトル(別著者)ですが、ちょっと立ち位置が違います。