2016年3月14日月曜日

モノのクラウド化ができるサービスがあるらしい

 これまで、ミニマリズムについて何度か書いてきた。その必要性の一つの理由は、居住空間の物理的な制約である。モノが増えれば、その収納スペースを増やすのがひとつの方法だが、通常は(庶民的なレベルでは)限界がある。だから、モノを増やさないようにするのがベストである。その一方で、溢れるモノをレンタル倉庫に預けるという選択肢もある。この選択枝の問題点は、そのコストの他に何を預けたのかわからなくなってしまう点だろう(特に小物の場合)。かといって、それらを1点ずつ写真を撮って管理するというのも手間である。また、箱単位でレンタル倉庫を利用すると、箱単位でしか出し入れできない点が欠点である。
 これらの問題点を解決するサービスがあることを知った。日経の記事で紹介されている「サマリーポケット」というサービスである(服もスマホの中 モノのクラウド化で変わる暮らし)。

良い点といえば、箱に雑多に詰め込んで送っても、写真撮影無料で画像データとしてくれる点だろう。また、その画像データをもとに指定したアイテムを取り出して引き出すことができる点も便利だ。宅配で送ってくれる料金が800円なので、これが高いか安いかは?である。保管料はひと箱300円/月であるが、年間では3600円である。単純に考えると、1年以内で3600円で買い直せるものであればこのサービスの利用前によく考えたほうがよいだろう。
 いちいち写真撮影するのは相当の手間だが、それでもこのビジネスモデルは儲かるのかどうかも興味のあるところだ。

2016年3月7日月曜日

「こころ」夏目漱石

言うことがコロコロと変わるヒトには困らされるものである。特にそれが会社の上司であるとストレスの要因となる(まさに自分の経験でもある)。そうはいっても、一般的に「首尾一貫」して言っていることや、やっていることが不変なヒトはどれくらいいるのだろうか?「ブレない」ことは評価されることであるが、度が過ぎると「融通のきかない」あるいは「軌道修正のできない」状態となり、それはそれで危険である。ブレすぎると「優柔不断」となり、それはそれで困ったことだが。

この小説は「上・中・下」の部分に分かれており、そのうちの「下」では「先生」と呼ぶ人物が、その過去を「私」への遺書という形で語っている。その中では、若いころの先生とその友人Kとの関係、そしてなぜKが自殺したのかが明らかにされている。先生とKは一種の「恋敵」となっていたのだが、そのために親友ともいえるKを追い込んだ。、「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」と常々言っていたKのブレ、つまりK自身が精神的に向上心のないものと確信させるように仕向けたのである。
ある意味、頭でっかちになると頭(脳)がすべてのようになり、体の機能や体の反応が過少に評価あるいは無視され、悲劇的な結末を招く(頭だけではなく、体の感覚も重要という点は「無学問のすすめ」でも書かれていた。

全体的に重く沈んだ気持ちとなる小説だ。題名を「こころ」としている点はよく考えられている。
その時代にスマホやらメールやらが使えたら成り立たないだろうなとか思った。



電子版はアマゾンで無料ですし、青空文庫 でも読めます。

2016年3月6日日曜日

「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」桜庭一樹

 主人公の山田なぎさ(中2)と、転校してきた自称人魚の海野藻屑(小説といえどかなりふざけた名前だが)の2人の女の子の友情物語であり、藻屑が父親に虐待され続けていたという父子虐待の話もありつつ、なぎさと引きこもりの兄友彦の話もある。さらに言えば、なぎさの片思いであった野球部の花名島と、なぎさと、藻屑の三角関係も絡んだストーリーである。冒頭ですでに藻屑が異常な状態の死体で発見されることから、その犯人探しの話でもある(すでに犯人の予想はつくのだが)。
 この小説のタイトルにひかれて読む気になった。「砂糖菓子の弾丸」の概念は、「実弾」と対極にある。タイトルだけだと目的語がほしくなる(「砂糖菓子の弾丸は○○を撃ちぬけない」の○○の部分)が、それがないのは意図したことだろう。しかし、副題(英語のタイトル)では ” Lollypop or A Bullet” となっており、「砂糖菓子の弾丸あるいは実弾」かという意味が表されている。

 友彦が、なぎさから藻屑の虚言ばかりの様子を聞いた後で、
「彼女はさしずめ、あれだね。"砂糖菓子の弾丸"だね」
と言いさらに続けて、
「なぎさが撃ちたいのは実弾だろう?世の中にコミットする、直接的な力、実体のある力だ。」と言っている。そして実弾に対して「空想的弾丸」と表現している。[kindleでは位置No.344]。
 空想的な弾丸を撃ちまくるのは、多感な年頃のティーンエージャーの特質かとも思うのだが、砂糖菓子の弾丸の解釈は読み手に委ねられるだろう。

 異常犯罪者の青少年の精神鑑定に使われる質問を友彦がなぎさに投げかけた件が、後半の犯人探しの伏線となっている。この質問が実際に使われているかの真偽についてはネットで検索しても判明しなかったが、一部のサイトではサイコパスを見抜くための質問のひとつとして挙げられている。ただし科学的なものというよりかは「都市伝説」のレベルなのかもしれない。

小説に対してあれこれと分析してもしょうがないので、読んだヒトがいろいろと感じ、解釈すればそれでいいと思う。一言で青春ものとは言えない小説である。